⚾️高校野球ファンだからこそ言いたい、今回の広陵高校辞退の本質
―甲子園は「教育の延長線上」にあるべきだ-
私は高校野球が大好きだ。毎年、春も夏も、テレビの前で胸を熱くしている。だからこそ、今回の広陵高校の甲子園辞退のニュースを見て、どうしても引っかかる思いがある。「甲子園、甲子園」と騒ぐ声が多いが、そもそも高校野球は高校教育の一環だという大事な視点が、置き去りになっていないだろうか。
部活動の本質をもう一度
高校野球は教育活動であって、勝つことや甲子園出場は目的ではなく手段だ。加害者がレギュラーで野球が上手いとか、戦力になるとか、そんなことは関係ない。判断基準は常に「教育として何が正しいか」であってほしい。
被害者が転校する理不尽さ
今回の暴行事件では被害者が転校しているという報道がある。本来なら、被害を受けた生徒が環境を変える必要はないはずだ。加害者を退学にしてでも、被害者の安全と居場所を守るのが筋ではないか。処分が曖昧なままでは、教育の現場で守るべき優先順位が逆転してしまう。
透けて見える「大人の事情」
強豪校であるほど「甲子園出場」「勝利」が大きな価値になり、学校やOB、地域、スポンサーなど大人の思惑が絡む。そうなると、どうしても処分が甘くなる誘惑が生まれる。「野球部を強くしたい」という思いの裏で、教育の理念が後回しになっていないかを問い直したい。
本来あるべき対応
- 加害者への厳正な処分(行為の重大性に見合う退学・長期出場停止など)
- 被害者が安心して通える環境整備(完全分離、第三者の継続的監視、再発防止の運用)
- チームとしての管理責任の明確化(指導体制・寮運営・通報ルートの点検と公開)
おわりに――勝利より大切なもの
私はこれからも高校野球を愛し続ける。だからこそ、勝利よりも大事なものがあることを、関わる大人たちに忘れてほしくない。甲子園はゴールではなく、教育の延長線上にある舞台であってほしいのだ。